■ Maximin & Ispin [ first love ] 2
気がつくと、イスピンはその音の主を探していた。
校舎を出て、音を辿ると、校舎の裏庭に出た。
どうやら、片隅にある大きな垣根の中から聞こえているようである。
確かここは、迷路になっていたはず。
そういえば祖母に聞いた事がある。
迷路は左手沿いに進んでいけば出口に出られる、と。

意を決し、迷路に入る。
左手を壁に沿わせて進んでいく。

何回も角を曲がり、そして、出た場所は――。



庭園の中にある、小さな庭だった。
こんな場所があったんだ…と宝物を見つけたような、そんな感覚が全身をよぎった。

辺りを見回して、目に入ったのがドーム状の屋根のついたベンチ。
そこに誰かが立っていた。

こちらに背を向け、必死で手に持った楽器…バイオリンを奏でていた。

イスピンはその様子に見入っていた。
彼が奏でる綺麗な音と、そして一心不乱に楽器を奏でるその姿から、何故だか目が離せなくなっていた。

曲は、だんだん速さを増していく。
激しい曲調で気持ちを高め、そして一気に――



「…あっ…。」

突然、曲が途絶えてしまった。
バイオリンの少年は悔しそうに頭を掻いている。
どうやら、その部分が、苦手な様子だった。


「…あ!」

ふと、少年と目が合った。

少年はこちらに気づくと、慌ててバイオリンを片付け始めた。

…え、帰るの…!?
「ま、待って!」

去ろうとする少年の足が止まった。
こちらを向いたその顔は、とても不機嫌だった。

その顔に、躊躇ってしまった。

「…あ、あのね……。」
どうしよう…思わず呼び止めてしまった。

漂う沈黙。
何も言わない自分に、少年は呆れたのか、また背を向けた。

「あ、だから…その…待って!」

また呼び止めるも、どうすればいいのか分からなかった。
そもそも自分はどうしたいのだろう?
自分で自分が、分からなくなっていた。

「…何?」

困惑していたら、少年が話しかけてきた。
驚いて、ますます混乱してしまう。
何か言わなきゃ…なんか話さなきゃ…!!

「…あの…ね!…その…嫌じゃなかったら……えと……もう一回、聞かせて欲しいな…なんて…。」

イスピンは、思ったことを口にしていた。
本当の事だった。



生まれて初めて、あんなに綺麗な音を聞いた。
優雅に動く弓、弦の上を滑る指の仕草。
バイオリンを弾いている彼の姿を、

もう一度見てみたかった。



「……ヘタでいいんなら…。」

「……うんっ!」

バイオリンを弾く彼の隣で、イスピンはその音に聞き入っていた。



また、同じ所で曲が止まった。
少年は、バツが悪そうに顔を顰めている。

「……苦手なの?」

少年は、黙って頷いた。

「…もしかして、練習してたの?」

「……まぁ、ね…。」

「…邪魔、しちゃった、かな…。」

「別に…。」

少年はバイオリンを片付け始めた。
そして鞄を手に取る。帰るつもりのようだった。

「……ねえ!明日またここに来る?」

思わず聞いてしまった。

「…さぁ。何で?」

「また、会えるかな…?」

少年が振り向いた。

「…さぁ?わかんないよ。」

少年は、背を向けて走り出した。

「待ってるから!!」

走り去る少年の背中に向かって、イスピンは叫んだ。

「明日、ここで待ってるから!!」

少年は、振り返ることなく、迷路の中に消えた――。





「イスピン〜帰りましょう〜!」

「…ごめん、僕、ちょっと用事があるんだ。」

そういうと、一目散に教室から出て行った。
その様子に、ティチエルとレイが顔を見合わせた。

「え〜何?イスピンどーしたの??」

走って教室を出て行ったイスピンを見て、ルシアンが聞いた。

「さぁ??よく分からないけど…。」

「委員会が忙しいんじゃないかな…ほら、もうすぐ遠足だから…。」

「そういえば、昨日帰ってくるの遅かったみたい。」

「うん、一緒に宿題やる約束だったのに…。」

「ふーん、クラス委員長って大変だねー。僕やらなくってよかった!」

「大丈夫よ、ルシアンには誰も期待していないから。」

「…な、なんだよそれ!?レイってそーゆーキャラだっけっ!!??」

「イスピンの代わりをしただけよ。…さ、ティチエル帰ろう。」

「は〜い♪」

困惑するルシアンをみて、ティチエルは嬉しそうだった。
いつも泣かされているので、いい気味だと思っているのだろう。

「なんだよもう〜。」

ルシアンは頬を膨らませた。
その様子をみて、ボリスがため息をついた。



イスピンは、例の迷路庭園の入り口に来ていた。
もしかしたら、こないかも知れない…。
だけど――

意を決したように、イスピンは庭園の中に飛び込んだ。
中庭に着くと、そこには誰もいなかった。

「…やっぱり、こないのかな…。」

がっかりしたものの、もしかしたらまだ来てないだけかもしれない、と思い、ベンチに座った。

どれくらい、待っただろうか。
ベンチでぼーっとしていると、段々眠気が襲ってきた。
重くなるまぶたを必死で開けようと頑張った。
しかし、徐々に抵抗できなくなる。

寝ているのか起きているのか、分からなくなった、その時――

がさり、と人の気配がした。
一瞬にして眠気が吹き飛んだ。
思わず、迷路口を凝視した。



そこからでてきたのは、昨日の少年だった。

「…うわ、ほんとにいる…。」

少年は驚いていた。

「…え、えへへ…。」
何だか照れくさかった。

少年はイスピン…ベンチに近づくと、鞄を置いてケースからバイオリンを取り出した。

「また弾くの?」

少年は黙って頷いた。

「…昨日、言ってただろ…苦手な所、練習するんだ。」

「あの、さ、…ここにいてもいいかな…?」

「…つまんないよ。」

「それでもいいから、さ。」

「…好きにすれば…。」

そういうと、少年はバイオリンを構えた。
そして昨日弾いた曲…主に盛り上がりの部分を弾き始めた。
苦手なところを重点的に練習するようだ。

何度も同じところを弾いて、何度も躓いて…。
それでもイスピンは黙って聞いていた。

「…あ、あのね…。」

もう何度間違えただろうか。
突然、イスピンが口を開いた。

「…何?」

上手く出来ない事に、少年は苛立っていた。

「…えっと…音楽の事とか…よく分からないんだけど…。」

「だから、何?」

「あ、あのね、気分転換とか、してみたらどうかなぁ…って、思うんだけど…。」

「…気分転換?」

「そう!…たとえば、さ、別の曲弾いてみるとか…ちょっと…遊んでみたり、とかさ…。」

「…………。」

少年は、イスピンを見つめたまま黙っていた。
イスピンはその沈黙に耐え切れず、ついうつむいてしまった。

「…うん、そうだな。」

「…え?」

「…昔、友達が言ってたんだ。『上手くいかない時は、何もかも忘れてリフレッシュした方が良い』って。
そう言って、よく遊んだんだ。…今思うと、アイツがただ単に遊びたかっただけなのかもしれないけど…。」

そう、少年は笑った。

「…ありがとう。」

「……えっ…?」
心臓が、飛び跳ねた。

「…言われるまで忘れてた。…そういえばずっと今まで練習ばっかりやってたっけ。
キミのおかげで、思い出すことが出来たから。…だから、ありがとう。」

そう、笑ってくれる少年。
直視できなくて、思わず目をそらしてしまった。

「う、ううん、別に…。」
何だろう…顔が熱い。

「…で、何しようか?」

「えっ!?」

「…だから、遊ぶんだろ?…何する?」

「え、えーっと…。」
…僕、どうしたんだろう、何にも考えられない…!

イスピンは混乱していた。
どうしてなのかは、自分でも分からなかった。
そんなイスピンの様子に気づくことなく、少年は辺りを見回した。

「…っていっても、何にもないなぁ、ここは…。
どうする?かくれんぼでもする?」

「…え、あ、うん…。」

イスピンは勢いのまま頷いた。

「じゃあ、俺が先に隠れても良い?」

「う、うん…!」

「…………。」

「…………。」

「……あっち向いてくれないと隠れられないんだけど…。」

「あっ、ご、ごめん…!」

イスピンは慌てて後ろを向いた。

ああもう僕何やってるんだろ…!!
いつもならこんなヘマしないのに…。

「…数、数えないの?」

「あ!…う、うん、数えるよ…!
いーち、にーぃ、…。」

ああああああ!
どうしちゃったんだろ僕…!!

この後も、イスピンはいつもならすることのないドジを繰り返していた。
「何やってるんだよ…。」と呆れながらも、笑ってくれる少年…イスピンはとても恥ずかしかった。

身体も熱く、心臓もいつもより大きく、早くなっていた。
イスピンは、これが『恥ずかしさ』からくるものだ、とこの時は思っていた…。




日が暮れかかり、辺りがオレンジ色に包まれる。
二人は家に帰ることにした。

結局、あれから少年はバイオリンを弾くことはなかった。

「…ねぇ、明日も来ていいかな…?」

「……好きにすれば…。」

そっけない返事。
イスピンはなんだか少し寂しかった。

しかし…。

「じゃあな!」

帰り際に、少年がそう、手を振った。

思わずイスピンも振りかえしていた。
「またね!!」

少年が垣根に消えると、イスピンは何故だか分からないが、とても嬉しかった。

つい先ほど感じていた、『寂しい』という想いは、あっという間にかき消されていた――。
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